今回は、私たちが大切にしている「神道の生死観」について、少しばかりお話しさせていただきたく存じます。
生と死は、私たち人間にとって最も根源的で、そして時として難解に感じられるテーマかもしれません。
この記事の元となるのは、昭和40年(1965年)に神社本庁の教誨師研究会で用いられた講義録です。
刑務所などで教誨活動(きょうかいかつどう:道徳心や宗教心を養い、更生を助ける活動)を行う神職の方々が、死を目前にした人々へ「安心立命(あんしんりつめい:心安らかに身を天命にまかせること)」を伝えるためにまとめられた、貴重な資料を基にして作成しています。
はじめに ― 神道における「いのち」とは
神道では、生命をどのように捉えているのでしょうか。
それは、個人のものだけに留まらない、もっと大きな繋がりの中にあると考えます。
私たちは、自分一人で生きているのではなく、大いなる自然の恵みや、目には見えない多くの力によって
「生かされている」存在なのです。
天地大生命(てんちだいせいめい)に生かされる私たち
この世界のすべてのものは「天地大生命」という、宇宙全体の大きな生命活動の一部であるという捉え方があります。
太陽の光、恵みの雨、吹く風、そして私たちが口にする食物も、すべてこの大生命の働きによるもの。
親と祖先 ― 生命(いのち)の根っこ
私たちの生命は、どこから来たのでしょうか。
それは紛れもなく、親から授かったものです。
そして、その親もまた、その親から…と遡っていくと、遠い祖先へと繋がっていきます。
この祖先から現代の私たちへと続く生命の流れは、まるで一本の大きな樹木のようです。
根っこである親や祖先を敬い、養うこと
(敬神崇祖:けいしんすうそ)があってこそ、枝葉である私たちが栄えることができるのです。
結び(むすび)の力と誠(まこと)の心
新しい生命が誕生することもまた、神道の重要な概念である「結び(むすび)」の力によるものです。
父と母、陽と陰、天と地といった異なるものが結びつくことで、新たなものが創造されたと云わています。
これは「美斗麻具波比(みとまぐわい)」とも称され、宇宙の普遍的な創生の原理とされています。
そして、私たちが神様と心を通わせる上で最も大切なのが「誠(まこと)」の心です。
「身を正しくし、心を明らかに保つ」こと、
つまり偽りのない清らかな心で日々の生活を送ることが、
神様と一体となる道であり、
常住坐臥(じょうじゅうざが:常に、どんなときも)の修行であるとされています。

魂(たましい)の行方と死後の世界
では、死を迎えた後、私たちの魂はどうなるのでしょうか。
神道では、死は決して終わりではなく、生命の循環の一つの過程であると考えがあります。
四魂(しこん)と直霊(なおひ) ― 魂の構造
人の心や魂は、複雑で多面的な働きを持つと考えられています。
神道では、魂は主に四つの側面「四魂(しこん)」と、それらを統括する中心的な霊「直霊(なおひ)」から成るとされます。
- 荒魂(あらみたま): 勇気や意志、行動力を司る荒々しい側面。
- 和魂(にぎみたま): 親愛や調和、優しさを司る穏やかな側面。
- 幸魂(さきみたま): 愛や幸福、創造性を司る恵み深い側面。
- 奇魂(くしみたま): 知恵や探求心、不思議な力を司る霊妙な側面。
これらの魂の働きは、生きている間だけでなく、死後も続くと考えられています。
そして直霊は、死後、根源的な神様の元へと還り、新たな生命の生成を導くとされています。
死は終わりではない ― 永続する生命のリズム
神道において、死は「生を終えた分散」であり、次の生成への準備段階と捉えられます。
肉体は滅んでも、魂は様々な形で存在し続けます。
- 肉体的な魂や荒魂の一部は、お墓に留まるとされます。
- 和魂は、家や国を守護する霊として働きます。
- そして直霊は、万物生成の神である高御産巣日神(たかみむすひのかみ)の元へ帰り、再び新たな「生」を導く力となります。
これは輪廻転生とは異なり、生命が永続的に発展していくリズムの一部なのです。
生と死は断絶したものではなく、連続した一つの大きな流れの中にあると言えるでしょう。
生と死を結ぶ祭祀(さいし)
神道では、祭りや儀礼を通じて、生者と死者、そして神々との繋がりを確かめ、生命の永遠性を体感します。
禊(みそぎ)と祓(はらい) ― 再生への儀礼
私たちは日々の生活の中で、知らず知らずのうちに罪(つみ)や穢れ(けがれ)を身にまとってしまうことがあります。
禊(みそぎ)や祓(はらい)は、
これらの罪穢れを洗い清め、心身をリフレッシュさせ、生命力を再生させるための大切な儀礼です。
日本神話における伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の禊祓や、天岩戸(あまのいわと)開きの物語は、その原型を示しています。
祭りがつなぐ顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)
祖先の霊を祀るお祭り(祖霊祭)や、
神社で年間を通じて行われる例祭、季節のお祭りなどは、
生きている私たち(顕世:うつしよ の住人)が、
亡くなった方々(幽世:かくりよ の住人である祖霊)と心を通わせ、
感謝を捧げ、両世界の結びつきを確認する大切な機会です。
このような行いを通じて、私たちは死を単なる別離としてではなく、
もっと身近なものとして感じることができます。
ここに、日本人が古来より育んできた、死者に対する独特の近親感が生まれるのです。
また、葬祭(そうさい)は、単に遺体を処理するという意味合いだけでなく、
故人の「たましい」に対する生者の敬虔な思いが核心となります。
「物体としての死体」よりも、故人の霊魂が安らかに鎮まること(霊魂安鎮:れいこんあんちん)が何よりも重視されるのです。
現代を生きる私たちへのメッセージ
神道の生死観は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれます。
敬神崇祖(けいしんすうそ)と報恩感謝(ほうおんかんしゃ)の心
天地自然の恵み、私たちを生み育ててくれた祖先、そして周囲の人々。
私たちは常に多くの「おかげさま」によって生かされています。
この感謝の気持ちを忘れず、神様やご先祖様を敬う心を持つことが、
自分自身の心の平安に繋がるだけでなく、
他者や未来の子孫たちの幸福にも繋がっていくのです。
清浄(せいじょう)な生活と社会との調和
心身の清浄を保つことも、神道では大切な教えです。
節度ある飲食、衛生的な生活、そして心の持ちよう。
身体的な調和を保つことが、魂の健全さにも繋がると考えます。
そして、その心は社会全体へと広がります。
すべての人々は同じ神様から生命をいただいた兄弟姉妹であるという
「四海同胞(しかいどうほう)」の精神で隣人愛を実践し、
私たちが暮らす国や地域社会を守護してくださっている祖霊の働きを、
より一層活性化させていくことが求められます。
おわりに ― 永遠の弥栄(いやさか)を目指して
神道の生死観のひとつは、「天地大生命」という大きな循環の中で生かされている自己を自覚し、誠の心で神様とご先祖様を敬い、日々の生活を送ること。
そして、禊祓や祭祀を通じて罪穢れを清め、
永遠に続く生命の生成リズムに参加することで、
現世も来世も、より豊かで輝かしい「弥栄(いやさか)」へと導かれるという、
壮大で円環的な世界像を示しています。
死は決して終末ではなく、
一つの役割を終えた節目であり、
次なる生成への大切なステップです。
そして、祖霊と子孫は、
時代を超えて互いに助け合い、支え合う共生関係にあるのです。
私たち一人ひとりが、日々の生活の中で誠の心を尽くし、
社会の一員としての役割を果たすこと。
それが、個人の心の安らぎと、私たちが暮らすこの国の安泰を同時に実現する道であると、
この資料は教えてくれています。
このお話が、皆さまの心に何か響くものがあれば幸いです。
宮崎神社からのお知らせ
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参考文献・資料
- 神社本庁教誨師研究会(編)(1965)『神道の生死観』(講義録)神社本庁.
- (本記事は、上記資料の昭和40年(1965年)に神社本庁教誨師研究会で配布された講義録の内容に基づき、宮崎神社宮司の視点から現代の皆様へ向けて再構成したものです。)
関連情報へのリンク
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