はじめに:飛鳥坐神社で見つかった“1.22 mの神鏡”が教えてくれること
奈良県・飛鳥坐(あすかにいます)神社で調査された直径122 cm・重さ260 kgの大型青銅鏡は、江戸中期(1768年)製作の国内最大級の神鏡だったと共同研究チームが発表しました。
鋳造技術の高さだけでなく、鏡面裏の銘文から伊勢神宮との深い縁も確認されたことで話題になっています。
ポイント
- 鏡面直径:122 cm
- 重量:約260 kg
- 銘文:「太神宮」「伊勢国回船中 渡海安全」など
- 1768(明和5)年、京都の鏡師 稲村備後 作と推定
鏡はなぜ“神さまの依り代”になるの?
神道では鏡が**「神霊が宿る器」と考えられ、ご神体(しんたい)や祭具として本殿の中心に安置されます。
三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」が神の依り代、御神体として、伊勢神宮(正式名称:神宮)の内宮でお祀りされています。
神道において鏡は単なる映像を映す道具ではありません。
古来より「神の依り代(よりしろ)」として崇められ、神の霊力が宿る神聖な祭祀道具とされてきました。
天照大御神が天岩戸(あまのいわと)に隠れた際、八咫鏡はその輝きによって天照大御神を誘い出すために用いられました。
この神話からも、鏡が神様との交流において重要な役割を担っていたことがわかります。
青銅鏡の歴史――弥生から江戸へ
時代 | 主な鏡 | 特徴・トピック |
---|---|---|
弥生中期 | 漢式鏡 | 権力の象徴として大陸から舶載 |
古墳時代 | 三角縁神獣鏡 | 墳墓副葬と祭祀の二重機能 |
奈良~平安 | 神宮御鏡類 | 国家祭祀体系の中枢へ |
室町~江戸 | 大型神鏡の流行 | 鋳造技術向上・奉納ブーム |
青銅鏡は大陸から伝来しつつ、日本独自の意匠や祭祀用法を発達させました。
特に江戸時代青銅鏡の歴史は弥生時代中期にまで遡ります。
当初は中国や朝鮮半島から伝来した貴重品でした。
考古学的研究によれば、初期の青銅鏡は権力の象徴として扱われていましたが、次第に祭祀的な役割を担うようになりました。
古墳時代になると、三角縁神獣鏡をはじめとする様々な形式の青銅鏡が国内でも製作されるようになり、神社の祭祀との結びつきを強めていきました。
これらの鏡は単なる威信財ではなく、強い宗教的意味合いを持つようになったようです
鏡と神社建築――空間デザインに宿る“反射”の思想
神社の建築様式にも鏡の象徴性が色濃く反映されています。
特に神社の内部空間や神殿の配置は、鏡の持つ「清浄」や「真実を映す」という概念を空間的に表現しようとしているようです。
多くの神社では、神鏡と呼ばれる鏡が神体として奉られ、参拝者が直接見ることはできないものの、神社の中心的な祭具として扱われています。
この神鏡は、古代の青銅鏡の伝統を現代に継承する重要な要素となっているようですね。
- 内陣正面に鏡を置くことで御神体を直接見せず、「映り込み」によって神威を示す
- 拝殿・本殿の奥行きや光の取り込み方は「鏡面反射」を綿密に計算した設計が多い
ご家庭の神棚に鏡を
ご家庭の神棚の装飾品として、鏡を備える方もいらっしゃいます。
神棚の場合は、この鏡は御神体というよりも、神様へのお供えする飾りの意味が近いです。
なので御神体として鏡を用いる場合は、ひと目に触れない扉の内側にありますが、神棚の場合は扉の外側にあることが、多いです。
なので、ご家庭でも鏡を飾る場合は、扉の前や近くに備えるのがオススメです。
参考文献・出典
- 共同通信「奈良・飛鳥坐神社に国内最大の鏡 径1.2m、江戸中期に制作」2025年5月21日
- 『神社・神道と青銅鏡の関係性:祭祀的意義と歴史的背景』レポート
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