はじめに
5 月 25 日、天皇皇后両陛下は埼玉県秩父市で開かれた 第75回全国植樹祭 にご臨席される前に、秩父神社で国指定重要有形民俗文化財「秩父夜祭」の屋台・笠鉾を視察されました。
式典ではケヤキやトチノキをお手植えになり、森と人が共に生きる大切さをおことばに込められました。
- 天皇陛下が神社を訪れる意義と歴史
- 秩父神社の文化的価値
- 全国植樹祭の歴史と目的
- 鎮守の森が果たす役割
- 宮崎神社の鎮守の森プロジェクト
1. 天皇陛下が神社を訪れる意義と歴史
1-1 行幸(ぎょうこう)とは
天皇が神社を参拝されることを「神社行幸」と呼びます。
最古の記録は朱雀天皇が賀茂社へ行幸された天慶5年(942)【『日本紀略』】で、その後約 500 年間途絶えたのち、孝明天皇が文久3年(1863)に賀茂・石清水八幡宮へ親拝され復興しました。(新伝, 日本服飾史)
1-2 「神前に立たない」伝統
古代から中世にかけては、天皇は神域近くの 行宮 にとどまり、臣下が神前に代拝する形式が主流でした。直接の御拝は
- 皇祖天照大神以外の神々を「祭り主」が親拝することへの慎み
- 神威による「祟り」を畏れた防御策
などの理由で避けられたと考えられています。(八木書店グループ)
1-3 近代以降の転換
孝明天皇・明治天皇以降は、天皇が玉串奉奠や遥拝を行う現在の様式が定着。
天皇は神道の祭祀王でありつつ、国民と同じく神前に祈る存在としての姿が顕在化しました。
2. 秩父神社――山車文化を支える鎮守
所在地:埼玉県秩父市番場町 1-3 (秩父市, chichibu-jinja.or.jp)
秩父神社は知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)を主祭神とし、毎年 12 月 2–3 日に行われる 秩父夜祭 がユネスコ無形文化遺産に登録されています。
13 基の屋台・笠鉾は 江戸型彫刻 と 和船建造技術 を応用した豪華絢爛な木造文化財であり、今回の行幸では 6 基が境内に集結しました。(埼玉県公式ウェブサイト, 宮内庁)
3. 全国植樹祭の歴史と目的
全国植樹祭は 1950 年、戦後荒廃した山林復旧のために始まった 国土緑化運動の中核行事 です(主務官庁:林野庁)。
第75回大会は埼玉県が主管し、「森を守り 未来へつなぐ 彩の国」をテーマに開催されました。(朝日新聞)
陛下はおことばで「森林を再生し健全な循環を保つことは将来世代への責務」と述べられ、ケヤキなど在来広葉樹を お手植え になりました。(リンヤ)
4. 鎮守の森とは――機能と信仰

役割 | 内容 | 一次情報 |
---|---|---|
生物多様性 | 固有種の避難所・遺伝資源の保存 | 林野庁「森林の生物多様性を高めるための指針」(リンヤ) |
防災機能 | 風害・土砂災害を緩和、緑のダムとして洪水を抑制 | 同上 & 林業白書 H10 年版(chichibu-jinja.or.jp) |
文化継承 | 祭礼・芸能・地域アイデンティティの核 | 文化庁・秩父神社資料(埼玉県公式ウェブサイト) |
鎮守の森は “神域” と “エコシステム” を同時に守る日本独自の SDGs モデル とも言えます。
5. 宮崎神社の鎮守の森プロジェクト
宮崎神社(広島県東広島市福富町)でも、境内林を対象に
- 間伐・下草刈り による光環境改善
- 在来常緑樹の植樹(榊やオガタマノキなど
6. まとめ――皇室と神社がつなぐ“森の未来”
- 行幸 は、天皇が国民とともに祈りを捧げる象徴的行為
- 秩父神社 は山車文化と植樹祭を結びつけ、森と祭の共生を示した
- 全国植樹祭 は 75 年の歴史を重ね、気候変動時代の国民運動へ進化
- 鎮守の森 は生物多様性・防災・文化の要
- 宮崎神社 は地域の森づくりを通じて次世代へバトンを渡す
森林を守ることは、社を守り、いのちを守ること――。
皆さまとともに未来へ苗を植え続けます。
7. 参考ニュース・文献
- 埼玉県「第75回全国植樹祭公式サイト」(朝日新聞)
- 朝日新聞「天皇陛下、全国植樹祭に出席」2025-05-25(毎日新聞)
- 毎日新聞「天皇陛下 秩父神社をご訪問」2025-05-25(秩父市)
- 秩父市「笠鉾・屋台特別公開案内」(chichibu-jinja.or.jp)
- 秩父神社公式サイト「ご祭神・由緒」(リンヤ)
- 林野庁「森林の生物多様性を高めるための林業経営の指針」2024-03-29(リンヤ)
- 林業白書 平成10年版「鎮守の森の保全」(日本服飾史)
- 孝明天皇賀茂社行幸図巻解説(京都産業大学)(新伝)
- 行幸旧跡史料(朱雀天皇賀茂社行幸)
- 天皇の神社参拝に関する解説資料(ユーザー提供)
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