【特別寄稿】令和7年5月2日 斎行「伊勢神宮 山口祭」|式年遷宮の幕開けを告げる神聖な祈り

ぶろぐ

神々の御宮を新たに造り替える一大事業——その最初の一歩

伊勢神宮では、20年に一度、御社殿を新たに造営し、神様を新宮へとお遷しする「式年遷宮(しきねんせんぐう)」が斎行されます。

その最初の祭儀となるのが、令和7年(2025年)5月2日に執り行われる「山口祭(やまぐちさい)」です。

この神事は、単に社殿建替えの準備ではなく、自然への敬意と神への祈りが込められた、日本文化と神道の精神性を象徴する祭儀です。

伊勢神宮 山口祭の会場風景(鳥居と社殿)

山口祭とは?|式年遷宮の最初に行われる重要祭儀

山口祭は、神宮の新しい社殿を建てるための「御用材(ごようざい)」を伐り出す前に、その山の入口に坐す神「山口に坐す神」に対して、木の伐採と運搬の安全を祈願する儀式です。

現代では、御杣山(みそまやま:木材の伐採地)は木曽(長野・岐阜)に定められていますが、山口祭そのものは変わらず伊勢の地、内宮の神路山・外宮の高倉山の麓で執り行われます。

これは、神聖な祈りの場を伊勢の地に守り続けるという強い信念の表れでもあります。

式年遷宮の「始まり」を告げる式次第(再掲)

【山口祭 式次第(予想)】

時間帯内容詳細・解説
早朝祭場の清祓榊と御塩により祭場を清める。神聖な空間を創出
集合行列整列(第二鳥居前)神職・忌鍛冶・小工・物忌の児童らが装束を着け集合
進発太鼓の合図で行列出発衛士を先頭に、神職、物忌、小工らが進む
道中饗膳の儀(五丈殿)神饌(米・魚・豆等)と鎮め物を供える、造宮使への饗応的儀式
祭場本儀:山口祭・祝詞奏上 ・物忌児童による「忌鍬・忌鎌」の儀 ・小工による五色の幣立て ・玉串奉奠
終了撤饌・退出神饌を下げ、儀式終了後に退出行列
同夜木本祭(このもとさい)心御柱の用材の神を祀る深夜の神秘儀礼(非公開)

【注目解説①】物忌(ものいみ)の装束と役割の深層

物忌とは何者か?

山口祭と木本祭の関係図解

山口祭において最も象徴的な存在が、「物忌(ものいみ)」と呼ばれる小学生の児童たちです。

  • 内宮では「童男・童女」が選出され、
  • 外宮では「童女」のみが選出されます。
  • 年齢はおおむね伊勢市内の小学3年生(8〜9歳)が該当します。

彼らは神事前に一定期間の「物忌期間」を過ごし、心身を清めたうえで神事に臨みます。

これは古代からの「潔斎」の思想が今に残るものです。

装束の詳細と意味

部位装束名解説
上衣袙(あこめ)平安期の童子の略装。白または淡色。布地は麻や絹。
下衣半尻(はんじり)腰から下のスカート状の衣。歩行がしやすく、儀式用に用いる。
頭部冠または髪結い/白布被り純潔を象徴し、俗界との遮断を示す。童女は白布で頭を覆う。
足元白足袋または素足神域に入るための「素(しろ)」の表現。靴は履かない。
持物忌鍬・忌鎌山を鎮めるために象徴的に使用される儀具。

【注目解説②】木本祭と山口祭の関係性図解

山口祭と木本祭は、同日中に行われる一対の神事です。

図解:山口祭と木本祭の位置づけ

【全体構造】式年遷宮(令和7年〜令和15年)の流れの中で…

山口祭(昼) ・御用材伐採の安全祈願 ・神路山/高倉山にて ・山の神への祈り

(対)

木本祭(夜) ・心御柱の用材を祀る ・正殿の床下に奉建 ・木の本に坐す神を祀る

山口祭と木本祭の関係図解(式年遷宮フロー)

解説:木本祭とは?

木本祭(このもとさい)は、山口祭の後、夜半に非公開で行われる神秘的な儀式です。

  • 祀られるのは「心御柱(しんのみはしら)」の材木となる樹木の神。
  • 心御柱は、御正殿の床下に奉建される神秘の中心柱であり、神が宿る「霊的中軸」とされます。
  • 木本祭ではその柱に使う木材に対し、神としての畏敬をもって祈りを捧げます。

山口祭が「山全体・木全体」への祈りであるのに対し、木本祭は「一点(心御柱)に宿る神聖性」を祀るという違いがあります。

【結びに】祈りは「過去と未来」を結ぶ架け橋

1300年以上続く伊勢神宮の式年遷宮は、単なる建築の更新ではなく、日本文化と精神の継承そのものです。

その起点となる山口祭——そして木本祭に込められた祈りは、私たちが自然と共にあること、そして「人の世の営みを超えた時間」の中に生きていることを教えてくれます。

参考リンク

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